大好きな祖母が認知症になった体験談

認知症になった祖母は頻繁に徘徊するように


35歳、男、会社員です。

認知症は、私の祖母が罹患した病気です。

当時、私は大学へ通い始めたばかりの頃でしたので、もう15年以上が経過しているのですね。

大学受験の頃はそのような兆候も見られなかったのですが、4月を過ぎてから急激に物覚えや忘れ物が増えてきました。

当時の祖母の年齢は75歳でしたので、年齢的なものだろうと私を含めて家族もそのように思っていたように記憶しています。

祖母は息子夫婦、つまり私の父と母、そして私の4人で暮らしていました。

私が小学校4年生の時に同居し始めましたので、あの時点でもう約10年が経過していたことになります。

祖母は非常に大人しい性格でしたが、母にすすめられて参加をし始めたゲートボールで交流の輪が広がり、次第に友人と一緒にお茶を飲みに出かけるなど非常に充実した日々だったと思います。

私も祖母が大好きでしたので、学校から帰って祖母がいる時などはずっと一緒にいたものです。

しかしながら、私が中学校へ進学をすると学習塾や部活などでその時間も減り、高校へ進学する頃には食事の時間でちょっと一緒にいるだけになっていました。

それでも祖母は祖母で元気にやっていましたので特に気に病むことも無かったのですが、状況が激変したのは私の高校卒業を機に家族で別の場所へ引っ越してからです。

最初は環境の変化によるもと思っていたのですが、出掛けると迷子になって戻れなくなってくるようになったのです。

忘れもしません。最初の迷子は引っ越して2ヶ月が経過した5月です。18時になっても祖母が戻ってこないことから、母が心配をして警察へ連絡。

程なくして隣駅を彷徨う祖母を発見してもらったのです。その時からですね。祖母の徘徊癖が顕著になったのは。

それからというもの、月に1~2度はどこかへ行って帰ってこないようになり、ついには歩いて10㎞以上も離れた場所で発見されるようになったのです。

そこに到り、これはもう厳しいかもしれないと病院へ行くと「認知症です」という非情の宣告。

秋口になっていましたが、その頃にはもう祖母は自分で何をしているのかも理解していないようになっていましたね。

その後、父と叔父、叔母の兄弟姉妹で今後のことを相談。父も家族で支えるのは無理だと言い切り、施設を探して入所させることになりました。

認知症と宣告されて3ヶ月ほどが経過した冬の時期に、ようやく祖母を受け入れてくれる介護施設が見つかりました。父も母もホッとした様子でした。

そして施設へ行くその日、私は大学の後期試験があったため同行できず、玄関の前で見送ることになりました。

結果的に祖母はその日を最後に家に戻ることは無かったのですが、あの時点でも直感的に「祖母はもう戻ってこないのだろうな」と感じたことを覚えています。

そしてあの時の祖母の目が忘れられないのですが、認知症で無気力な目つきだったのが、あの最後の玄関の別れの瞬間だけ以前のあの優しかった祖母の目に戻っていたのです。

今となっては知る術もありませんが、もしかしたら祖母も気が付いていたのではないでしょうか。もう自分はこの家には戻れないのだと。

その後、施設に時間を見つけて通ってはいましたが、祖母は私を孫であると認識してくれることはありませんでした。

そして母を困らせた徘徊癖の拠り所ともなった健脚も、長い間の施設の生活ですっかり痩せ細り、晩年は車椅子無しでは動けなくなっていましたね。

そんなすっかり変わってしまった祖母ですが、唯一変わらなかったのは元来持っていた優しさでしょうかね。

というのも、施設の方曰く「認知症は凶暴化する人も少なくない」のだそうです。

しかし、私の祖母は終始穏やかで大人しくしていたようで、職員の方ともにこやかに談笑していたそうです。それを聞いて、やっぱり祖母は優しいものなと妙に納得しましたね。

認知症の症状は皆一様ではないと思いますが、私の祖母の場合は「物忘れ」「徘徊」が主でした。

そんな祖母も、施設に入所してから7年目の冬に亡くなりました。

支えていた父や母、そして叔父や叔母もそうですが、一番ホッとしたのは案外祖母なのではないかなと思いますね。というか思いたいです。


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